上越市議会 2022-06-16 06月16日-04号
英語でいうとパブリックプライベートパートナーシップと、略してPPPというそうですが、違いを探るんであれば官民連携はどちらかといえば官が主導であって、公民連携といった場合はどちらかといったら民主導であるというような理屈もありますが、それもよく分からない。
英語でいうとパブリックプライベートパートナーシップと、略してPPPというそうですが、違いを探るんであれば官民連携はどちらかといえば官が主導であって、公民連携といった場合はどちらかといったら民主導であるというような理屈もありますが、それもよく分からない。
あそこの場合は民間会社が施設整備をして、必要な部分を行政が買い取ったりしているということで、まさに民主導のそういう施設で、やっぱり稼ぎ出す、そういうコンセプトを持った施設だというふうに私も感じてきました。
レストランバスについて,今年度より市と民間事業者の共催とし,企業が自社のイベントで活用するなど,広がりを持つことができましたが,来年度はその相手先を大手旅行会社に変更し,民間主催による運行回数を今年度以上にふやすなど,将来的な民主導への自走に向けて取り組んでいきます。
○委員(池田千賀子) 26年度からやると言われている検討が、今、課長が答弁されたように、事業の全体像があって、その中で、市はここくらいまではやりますと、でも、その後の実際の事業の実施主体は、もう民主導でどんどんやっていってもらうんだというふうな、そういう絵姿を、あるいは具体的な役割分担のようなことを検討した結果、これでどうですか、やっていただけるところはないですかというふうに提示をして、やっていただけるところに
最後に花火なんですけれど、これはちょっと思いがございまして、三条市は商工会議所が中心になって、まさに民主導で企画し、寄附金も集めているということなんです。燕は残念ながら役所依存体質になっておりますので、私はこれ自身必ずしも健全な姿ではないと思っているところなんですけれど、いろんな経過があって今の状況になっていると思っております。
後は民主導でいかがでしょうかと。とりあえず、ひとり立ちするまでについては行政もバックアップするし、後押しもするし、僣越ですがある意味先導役もするけれども、後は民で行くんだということの意味で5年という区切りをさせていただきました。
ただ先ほど私が言ったとおり、市民協働部長もおっしゃったとおり、コミュニティセンター化を進める中で、市民力を高める中で、官から民主導に移りながら活動を続けると、最終的には民だけでできるコミュニティセンター化を進めていただけるよう要望したいと思います。
この事業は、市と県の連帯による緑豊かな水辺空間づくりを目的とした河川公園づくりであり、河川敷の整備方法につきましては民主導、官主導の実例をもとにプラス面、マイナス面などについて調査を行い、説明を受けたところであります。
次に、地域通貨「らて」でありますが、これは二、三年前の施政方針に全国に誇れる行政主導型というような表現で述べられたわけでありますが、私どもは実際は民主導でないとなかなかうまくいかないというふうに考えております。かつて総務常任委員会で近江商人の近江通貨、「おうみ」の勉強に行ってきましたけど、全く民間主導でうまく回っておりました。
そうすると、電気通信局長が光ファイバー網整備は、これは政府のいわゆる国家戦略として超高速ネットワークを向こう5年以内につくるということで議論されておりますが、もっと以前からは郵政省は光ファイバー整備につきまして民主導、民間主導でやるという方針を打ち出して、それは今のIT戦略本部の前の政府の高度情報通信社会推進本部においてオーソライズされているわけです。
そして、2004年8月の規制改革・民間開放推進会議中間取りまとめの官製市場の民間開放における民主導の経済社会の実現の中で、市場化テストとは官と民を対等な立場で競争させ、民でできるものは民へを具体化させる仕組みである、すなわち透明、中立、公正な競争条件のもと公共サービスの提供について官民競争入札を実施し、価格と質の面でよりすぐれた主体が落札し、当該サービスを提供していく制度であるとしています。
○市民活動支援課長(高橋 敏郎) 基本的には、この前もちょっとお話をしましたが、コミュニティと公民館を統合して、コミュニティとして地域づくりをしていく、名実ともに、公立だけども、民主導、住民主導でやっていくということでございます。
新潟県内においても新津、柏崎を先導役として、FMゆきぐに、燕三条エフエム、そして移動電話システムからの事業転換を図るFMながおかなどが開局あるいは開局準備を進めており、組織の面からも完全な民間企業から民主導あるいは官主導の三セクまで、さまざまな形態が存在し、まさにそれぞれの地域の創意工夫が試されていると言っても過言ではありません。